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この美術部には問題があり過ぎる!?

投稿者:
  • 投稿日:2020/9/10
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コメント

俺の名は主人公(あると ひとし)この春から某県内の男子校に入学した1年生だ選んだ部活は美術部その理由は・・・部員A「やっぱ、たまんないよな~松屋先生❤」部員B「あんな美人の先生が顧問になってくれるなんて・・・部、辞めないで良かったぁ~っ!」部員C「でも3か月だけの臨時って話だぜ2学期なったら別の先生が来るって話だし・・・」部員A「それでもいいじゃねぇかどうせ俺たち3年は今学期で引退なんだんだからよ」部員B・C「それもそうだな」主人「先輩方、もっと真面目にやってくださいよ」部員A「(・д・)チッ!うるせぇな」部員B「俺たちゃもう木像相手のデッサンなんて飽き飽きしてんだよ」部員C「そうそう、やっぱり生の女のヌードが描きてぇよなぁ~」部員A・B「同感々々」先輩たちがクサるのも無理はない現在私学は苦境に立たされている恒常化する少子化により入学希望者は激減の一途をたどるなか、バブル崩壊後の不況がそれに拍車をかけた他の私学が生き残りに男女共学という選択肢をとる中、わが校は女人禁制を貫き、結果人気はがた落ち、偏差値も下げる結果となったこのような状況に当時の理事長が“起死回生の策”として考えたのが、「世界的に有名な芸術家(?)を招いて美術を教え、注目を集める」というものだったが、これがものの見事に失敗芸術家としては一流だったのだろうが、教師としては不適格な人物だった授業や部活では自分の観念の押し付けに終始し、選択希望者は激減し、ほとんど漫研化美術部では、「芸術のゴリ押し」「大衆娯楽の完全否定」により、30名近くいた部員たちも今の3名を残すのみとなった今の先輩たちも1年の時、退部しそびれて、今日に至ったというその芸術家先生は天本と言ったが、その天本先生はこれまでの自分の行いの悪さの結果なのだろうか?半年前のコロナ渦の中、武漢肺炎によりあっけなくこの世を去ったという高齢なことも理由だったらしいそのような美術部に、何故俺は入部したかというと・・・俺は元々美大を志望していて、俺の入れる学校(偏差値)と相談し、美術学校に通う学費が浮くと思い、この学校に入学したということであるだが・・・「俺たちの絵のモデルになってくださいお、俺も・・・裸婦画を描いてみたいです」一人の先輩部員の勇気ある一言から始まった松屋先生の全裸写生会(ヌードデッサン会)松屋先生の指導は予想以上に厳しいものだったが、先生の美しく豊満な裸体を見ながらの写生会は時間を忘れるくらい充実したものとなった